平安遷都後も摂津国の国府(大坂府庁と警察、裁判所をすべて一緒にしたようなもの)が国分町(森之宮近辺)に、またその後、三韓坂近辺(真田山)にありました。しかし10世紀半ば、平安京が繁栄しはじめると国府は渡辺津(北浜あたり)に移ります。
北国分 石碑
 
     
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