飛鳥時代のはじまりとともに、仏教の受容れの是非をめぐる、物部守屋との争いに勝利した聖徳太子は、四天王像を造らせます。当初、四天王像は森之宮に安置され、その他に元四天王寺を建立します。森之宮にはカササギを放したと伝えられる広大な森をもつ神社がありその敷地のなかに元四天王寺があったそうです。その後、四天王寺の伽藍が現在の場所(天王寺区)に新たに建立され、四天王像も移されます。