兵器工場が森之宮の大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)で、その後におこる戦争と軍縮の影響で規模の拡大または縮小もしますが、第二次世界大戦の終戦直前には、130万㎡の敷地に200以上の工場が林立され、6万人以上の人々が働いていました。玉造、森之宮はそこで働く職人、工員たちの身近な町として人口も増え、一部は歓楽街にもなりますが、終戦日前日の大空襲により砲兵工廠は壊滅し、町々も戦禍につつまれ多大な犠牲を払います。