氷河期が終わったばかりの大阪市はそのほとんどが海の中で、大阪湾を南から北に向かい槍のように突き出している岬、上町台地を別にすれば、内海(河内湾)に浮かぶ島々というところです。岬の地表の大半は原生林に覆われ、西側には大阪湾が、東側には内海が生駒山、信貴山、葛城山、金剛山などの山々の間に島々を浮かべ、真水に近い状態で豊かな自然を育みます。大阪湾より適切な距離がとれ、ほど近い原生林では、動物の捕獲、木の実、自生の果実の採取に都合がよく、魚、貝を手に入れるには河内湾側の遠浅な入江(東成区深江)を利用できる、そんな場所が上町台地北東部にあたるこの界隈です。ここでは縄文時代中頃から人間の生活が始まったようです。日本の縄文時代につくられた土器類は、新石器時代の他地域と比べ、類をみないほど種類も、量も多く、また造形、彫刻的装飾にもたいへん優れています。家は防寒の為に土台を浅く掘り下げた円錐型の竪穴式住宅です。数千人におよぶそんな生活が、大阪の町ではこの一端よりはじまったようです。

森之宮遺跡展示室(ピロティーホール 地下1階展示室)
   
縄文時代の後期の人骨、櫛、土器等の出土されたものが展示されている小さな展示室があります。
地下一階の展示室で月曜を除く正午から午後3時まで見せてくれます。
2008年3月末をもって閉館になっているようで、現在では見ることができません。
ピロティーホール
▲ピロティーホール
▲河内湾の時代(約5000〜4000年前)
 
 
 
 
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